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由来】
室町時代、伊藤一刀斎景久によって創始され、二代小野次郎右衛門忠明によって継承された。忠明は徳川ニ代秀忠の指南役となってその武名高く、一刀流の理念と技法を確立し、真剣、刃引、木刀による組太刀を大成させた。爾来代々将軍家、津軽家、諸大名に伝わり、日本剣法の代表的流儀となった。一刀流には多くの支流があり、それらと区別するために正統を小野派一刀流とよぶ。この正統は五代忠一の時、津軽土佐守信寿公に相伝された後、信寿公より小野忠久、忠方に逆に伝えられた。
以後津軽家、小野家に正統が伝承され、大正に入り津軽、山鹿両家より笹森順造に正統が伝えられた。今日の一刀流は三代忠常、四代忠於により技が加えられ、組太刀の指南法、目録が定められ伝承されたものだが、笹森順造が原点を掘り起こし、すべての技法、理論、伝統を再統合し再確立したものである。
「一刀即万刀、万刀即一刀」は一刀流の根本理念である。「切り落としに始まり切り落としに終わる」と言われ、切り落としにその最大特徴がある。切り落としとは相手の太刀のおこりを見抜いて、しかもそれにこだわらず、居つかず、順に応じて、己から進み迎えて打って一拍子相打ちで勝つ技である。
すなわち己が打ち込む一つの技により、相手の太刀を切り落としはずして己を守り、その一拍子の勢いでそのまま相手を真二つに切るか突くのである。つまり一をもってニの働きをするから必ず勝つのである。その心得は、まず「死にたくない打たれたくない」と思う『我が心を自ら切り落とす』ところから始まれ、と言うことである。
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【長正館の資料より】2017年7月現在
長正館の一刀流は、笹森順造第十六代宗家より長井長正館長に託されました。
笹森順造第十六代宗家は、『小野(十生)先生は長井さんが道場を開かれた機会にしばしば出向かれ、長井さんを見込んで一刀流を授けに行かれた。どうぞしっかりやって下さい。そして小野(十生)先生のお慈悲に応えて精進して下さい。それがまた一刀流の精神なのです。私も及ばずながらお力になりましょう。長井さんの稽古もさることながら、どうぞ後進に幅広く一刀流を広めて下さいよ』と言われ、笹森順造宗家が米寿のお祝いにと学連のOBからもらわれた一刀流の木太刀と小太刀を下されました。さらに、『これは小野(十生)先生と私だと思って、幾久しく励んで下さいよ』と言われました。こうして昭和四十八年三月、長正館は小野派一刀流の道場として認可を受けました。
実際の指導の根幹は笹森順造宗家の高弟である小野十生先生から長井長正先生に昭和45年頃から伝播され、小野十生先生が他界されたあと、ご子息の小野寅生先生を始め、同じく高弟の小川忠太郎先生が継いで指導されました。
長井長正館長(剣道範士八段)が平成二年十月逝去のあと、長正館副館長の井上勝由が故長井長正先生の意志を継いで主になって指導を続けております。そして改めて笹森建美第17代宗家から許可をいただき、宗家の禮樂堂とも連絡を取りながら小野派一刀流の関連道場として稽古を行っています。現在、井上勝由の他、理事、指導員が中心になり後進の指導を行っています。
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